今に伝承された木の実のアク抜きの技術、漆、木工、絹織物、狩猟、漁労法などの知識はほとんど縄文時代に開発され、連綿として子孫に受け継がれてきました。落葉広葉樹林のトチ、クリ、クルミ、ブナ、ナラなどの堅実類に恵まれ、川を遡上するサケやマスの大群によって山峡の生活は支えられてきました。
貧しくともこころゆたかな、自然と共生する自給自足の暮らしが合掌建築という特異な景観を構成。しかし、今や世界文化遺産で観光客と車がラッシュする風景に、厳しい昔人の生活観、山のなりわいをもはや想像すらできないことでしょう。それは、時代が快適で文化的な生活観へと変容してやまないからではないでしょうか。額に汗して働く相互扶助の白川郷の原風景を未来永劫に保存公開している民家園では、ゆっくりと歩きながら、心の故郷にかえったようなやすらぎを偲ぶことができます。
白山(2,702m)は日本三名山(富士山・立山)のひとつで、二千七百の白山神社の総本山として知られています。
また、日本の地勢を東西に分かつ南限、北限の植物が分布するユニークな山でもあります。
白山から北海道までの縄文東日本文化圏の指標となる樹木は落葉広葉樹(クリ、ナラ、ブナ、トチなど)で、木の実のアクを抜いて食べる食文化がありました。
囲炉裏(イロリ)
外の焚き火を家の内部に持ち込んだのが囲炉裏のはじまりであるといわれています。
囲炉裏には食事の煮炊き、暖房、灯り(照明)の役割がありました。
生活は囲炉裏を中心としたもので、各自、座る場所が厳格に決まっていました。
イロリの語源はむずかしく、広辞苑によれば、囲炉裏は当て字で、地方の民家などで、床を四角に切った炉をいいます。ところによってはホド、ユルリ、ヒジロなどと呼ばれています。
柳田国男氏は「居る」に関係し、「すわるところ」と解釈しています。
煙と煤(すす)
百年以上の年期を経た合掌家屋は家の内部が黒く煤けてつやびかりしています。屋根裏の部材をしばる縄もネソ(マルバマンサクの木)も合掌材、カヤ(茅、萱)も囲炉裏の煙りで煤けています。防虫、防腐効果があり、屋根裏を乾燥させる利点があります。合掌建築は木の文化の集大成で、建物の保存上、囲炉裏は欠かせません。
灰の効用
白川郷は縄文東日本文化圏に位置し、広案落葉樹林帯にかこまれ、カツラ・ブナ・トチ・ナラなどの巨木が白山国立公園の原生林を際立たせています。囲炉裏の薪は毎年四月頃に広葉樹間伐材で一年分を用意します。最上の薪はナラ材で、民家園ではその薪の燃えた灰の灰汁(アク)を利用しています。
『家は沢なりに造る』といわれています。
気候が寒いために、建物の形式は風を通さない構造(天地根源造)の平地住居で、合掌建築の前身は縄文竪穴住居に似たマタダテ小屋と見なされます。
多層式の大型住居となったのは、おおよそ三百年前(宝暦時代)頃のことです。
書物や絵巻に描かれている昔人の暮らしの姿をみることによって、当時の生活を知ることができます。
徒然草の第五十五段に「家の作りやうは、夏をむねとすべし」とあります。冬の寒さは十二単(ひとえ)のように何枚も重ね着して、身近に火鉢、火桶があれば凌ぐことかできました。が、多湿な夏の蒸し暑さは凌げないから、家を作る際には、高床にして風通しをよくしなさいとのことです。これは西日本文化圏、弥生文化住居の特徴であって、極度に寒い縄文文化圏には不適合だといえるでしょう。
枕草子の第二八三段で炭のおこし方にふれています。節分のことで、「・・・めぐりに置きて、中に火をあらせたるはよし。皆はほかざまに火をかきやりて、炭を重ね置きたる頂きに火を置きたる、いとむつかし」と。 “冬上夏下”という炭の起こし方は千年も前からの日本の文化であったことがわかります。
だんだん少なくなりましたが、代表的な方言としては、ダチカン(だめだ、いかん)、ドンダ(カメムシ)などです。
その他にも、ヘンコ(かご)、ウタテイ(気のどくな)、イブル(高慢な、鼻にかける)、ドンビキ(蛙)、アカベロ(イモリ)、カッテコ(雪が冷え込みによって固くなっている様)などがあります。
野外博物館 合掌造り民家園
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